長野地方裁判所松本支部 平成3年(ヨ)114号 決定 1992年1月17日
債権者 窪田千倉
右代理人弁護士 山内道生
同 中島嘉尚
同 竹川進一
同 成毛憲男
同 竹内永浩
同 小岩井弘道
同 野村尚
同 上條剛
同 林一樹
債務者 宗教法人オウム真理教
代表役員 麻原彰晃こと 松本智津夫
債務者 株式会社オウム
代表取締役 松本智津夫
右債務者両名代理人弁護士 青山吉伸
主文
債権者が本決定の送達の日から一四日以内に債務者らに対して合計金三〇〇万円に相当する担保を立てるときは、
一 別紙物件目録一記載の土地の債務者らの占有を解いて長野地方裁判所松本支部所属の執行官に保管させる。
二 債務者らは、同土地上に建物の建築工事をしてはならない。
三 申立費用は債務者らの負担とする。
理由
一 申立及び主張
1 申請の趣旨
主文第一、第二項と同旨
2 申請の理由の要旨
(一) 債権者は別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という)の所有者であるが、平成三年六月一八日、債務者株式会社オウムとの間で、食品工場・事務所を所有させる目的で本件土地の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という)を締結した。
(二) しかし、これは債権者の錯誤又は詐欺による意思表示に基づくものである。すなわち、債権者は、債務者宗教法人オウム真理教(以下「債務者真理教」という)が、債務者株式会社オウムの関連法人として本件土地上に宗教施設を建設する予定であることを知らず、また本件土地上に建設されるのは平家建てのプレハブ建築であると誤信したのであり、これらは要素の錯誤に当たる。
また、債務者株式会社オウムは債権者に対し、ことさらにこれらの事実を誤信させるような欺罔行為を用いて、詐欺による意思表示に基づき本件賃貸借契約を締結させたのであり、債権者は債務者株式会社オウムに対し平成三年一〇月一九日右意思表示を取り消す旨の通知をした。
(三) ところが、債務者真理教は、本件土地を敷地とする鉄骨造四階建ての宗教施設の建築を計画して建築確認申請を行い、平成三年一一月二九日建築確認を受け、右建物の建築に着工しようとしている。
二 当裁判所の判断
1 疎明資料及び審尋の全趣旨によれば以下の事実を一応認めることができる。
(一) 債務者真理教は、松本地区における食品工場・事務所の設置を企画し、青葉興業株式会社(代表者杉浦金四郎、以下「杉浦」又は「青葉興業」という)に適当な土地の購入方を依頼した。なお、債務者株式会社オウムは、債務者真理教と代表者を同一にし、実質的にはその一部門というべき関連法人であり、債務者真理教は杉浦に対し、この事情を説明した。
(二) 債権者は、本件土地及び隣接する別紙物件目録二、三、四記載の土地(以下「件外二、三、四の土地」という)を所有していたが、杉浦から同土地の売却方を要請され、その交渉を有限会社アズサ測量設計開発(代表者吉田治、以下「吉田」という)に委ね、その後の交渉は、もっぱら債務者ら代理人杉浦と債権者代理人吉田の間で行われた(なお、債務者らは杉浦は契約の媒介を行う仲介業者に過ぎないと主張するが、杉浦は債務者らの利益を代弁する形で交渉から成約までを委ねられていたのであり、実質的には債務者らの代理人というべきである。)。
(三) 右売買契約交渉の過程で、<1>本件土地付近は国土利用計画法の規制区域内であるため、件外二、三の土地のみを売却し、本件土地及び件外四の土地は後日の売却を見越して賃貸借契約とすること、<2>件外二、三の土地については、いったん青葉興業が買主として介入して転売のうえ中間省略登記をすることが合意され、平成三年六月一八日、債権者は、本件土地及び件外四の土地につき債務者株式会社オウムとの間で賃貸借契約を、件外二、三の土地につき青葉興業との間で売買契約をそれぞれ締結し、また、件外二、三の土地については同日付で青葉興業・債務者真理教間の売買(転売)契約が締結された(ただし、件外二の土地については債務者株式会社オウム名義での所有権移転登記がなされた後、債務者真理教への真正なる登記名義回復による所有権移転登記がなされ、件外三の土地については小林秀守名義での所有権移転登記がなされている)。
なお、本件賃貸借契約中には「同一代表者が経営する株式会社オウムの関連法人」については貸借権の譲渡・転貸は自由とする特約が合意されている。
(四) ところで、以上の契約交渉の過程で、杉浦は吉田に対し「買主、借主は豆腐・納豆等を製造する食品会社である」という程度の説明しかせず、債務者真理教のことは一切伝えず、件外二、三の土地の転売先も債務者株式会社オウムであるとの虚偽の説明をしたため、債権者及び吉田は、債務者真理教が関わっていることには全く思い至らないまま上記各契約の締結に至った。また、債権者及び吉田は、豆腐・納豆工場ならば平家建てのプレハブ建築程度の規模の建物であろうと想定したが、その旨を杉浦に確認することはしなかった。
(五) 債権者は、平成三年九月一二日ころ債務者株式会社オウムが債務者真理教の関連法人であること、右工場等は債務者真理教が建設する予定であることを初めて知り、そのころから地元住民らによる建設反対運動が展開され、債権者は債務者株式会社オウムに対し同年一〇月一九日本件賃貸借契約にかかる意思表示を取り消す旨の通知をした。しかし、債務者真理教は建築確認申請を維持し、同年一一月二九日建築主事による右工場等の建築確認を得た。
(六) なお、債務者真理教をめぐっては、住民票不受理問題、道場における未就学児童問題、国土利用計画法・森林法違反問題等から各地で地元住民や信者の家族らとの間でトラブルが多発しており、さらには坂本堤弁護士一家失踪事件との関わりの有無がとりざたされ、これらはマスコミ等を通じて広く報道されている。
2 以上の認定事実に基づいて判断する。
(一) 被保全権利について
債権者が本件土地を所有していることは争いがなく、債務者らの主張する本件土地の利用権原は本件賃貸借契約に基づくものと解されるから、本件賃貸借契約にかかる債権者の意思表示の取消しの成否を判断する。
前記認定の債務者ら相互の関係、本件賃貸借契約中には明らかに債務者真理教を想定したとしか考えられない賃借権譲渡・転貸自由の特約条項を設けていること、債務者真理教は本件土地と一体的に利用する前提で本件賃貸借契約と同日付で隣地所有権を取得していることなどに照らすと、本件賃貸借契約における実質的借主は債務者真理教であると解される。ところが、本件賃貸借契約締結に際し債務者ら代理人として交渉に当たった杉浦は、契約相手方は食品会社であるという程度の説明しかしなかったばかりか、件外二、三の土地の転売先を偽るなどの積極的な欺罔手段を用いて債務者真理教の名をことさらに秘匿したと解さざるを得ない(なお、杉浦は、債権者及び吉田は債務者真理教のことを当然知っていたはずだと思い、あえて説明しなかった旨弁解するが、前後の状況に照らし採用できない。)。
そして、債務者真理教をめぐっては前記のような様々なトラブルが多発し、社会的な関心を呼んでいたのであるから、実質的な借主が債務者真理教であるとの事情は、地主が土地賃貸借契約という継続的な契約関係を結ぶか否かの判断に影響を与えかねず、これを意図的に誤らせるような右言動は、社会的に許容されるかけひきの範囲内とは言い難く、取引上の信義則に反するものというべきである。なお、債務者真理教が正当な宗教活動を行う宗教法人として憲法二〇条、一四条の保障の下にあるとしても、私人との契約において取引上重要な事項について欺罔手段を用いることを正当化しうるものでないことは当然である。
この点につき、債務者らは、債務者株式会社オウムがオウム真理教団の一員であることは公知の事実であり、債務者真理教の関与を何ら隠していないし、債権者も当然知っていたはずであると主張するが、債務者ら自身には欺罔の意図も事実もなかったにせよ、その代理人の行為については自身の行為と同様の効果を受忍すべきものであるし、本件賃貸借契約の実質的借主が債務者真理教であることを債権者が事前に知っていたことを窺わせる疎明資料はない(「株式会社オウム」「松本智津夫」との名称は「オウム真理教」「麻原彰晃」ほど著名ではなく、前者の名称に接していたからといって当然債務者真理教を想起していたはずであるとはいえない。)。
以上により、本件賃貸借契約にかかる意思表示を詐欺を理由に取り消したとの債権者の主張は理由がある。債務者らに本件土地の利用権原は認められず、債権者は本件土地の所有権に基づき妨害排除ないし妨害予防請求権を有する。
(二) 保全の必要性
債権者が債務者株式会社オウムに対し、詐欺を理由とする取消しの通知をしたにもかかわらず、債務者真理教は建築主として本件土地を敷地とする堅固な建物を建築する構えを崩しておらず、債務者真理教に対する関係で保全の必要性は十分認められる。
債務者株式会社オウムは現在のところ右建物建築の表立った主体とはなっていないが、前記のような債務者らの密接な関係、債権者との間の本件賃貸借契約上の借主は債務者株式会社オウムの名義となっていることを総合すると、今後建築主体を同社に変更されるおそれもあり、同社に対する関係でも保全の必要性は認められる。
3 よって、本件申立は理由があるから、標記担保を立てることを条件にこれを認容し、申立費用の負担につき民事保全法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 宮坂昌利)
別紙 物件目録
一 所在 松本市大字芳川野溝字野溝
地番 五二七番一
地目 雑種地
地積 三一五平方メートル
二 所在 松本市大字芳川野溝字野溝
地番 五二七番三
地目 雑種地
地積 四九二平方メートル
三 所在 松本市大字芳川野溝字野溝
地番 五二六番二
地目 雑種地
地積 六七平方メートル
四 所在 松本市大字芳川野溝字野溝
地番 五二六番三
地目 雑種地
地積 六六平方メートル